川っ田川がようけ寄って
ここに里でもこしらえへんかと口々に言うた

そしたら海産みがその声を聞きつけた
川どん川どん

それならついでに、山や魔の目を盗んでな、巣にありゃあ石ころでもええで

転がしもって細きゃあしながら運んできてくれならへんかえ

そしたらわしは、ざぶんと波を起こして砂利ころを押し戻してなああ

ええ浜をこしらえてなああ

そしたら貝でも育たんだろうか

小魚が打ち上げられてなあ、ぴちぴち跳ねようか、小鳥が来てちょんちょん跳ねて ついばまへんか、
かわいい小鳥がなああ
その話を聞きつけて
岩岩はわいわいと祝いをこしらえた

明日川どんが迎えに来るで、だれがその流れに乗って旅に出るか、決めなあかん

わしがいきたゃあ、わしはうまれてこのかた、この山や魔の巣から出たことにゃあだ

わしがいきたゃあ、わしもうまれてこのかた、この山や魔の巣から出たことにゃあだ

なに、おみゃあはあれだろう、ちょっと前に少し転がったことがあっただろうが

おっとろしゃあ、どうでそんなこと言うだあ、

あんたこそここに転げて来なる前は上の上の方の別の巣におんなったちゃうだか、

岩どんらあ、岩清水で酔っ払って喧嘩を始めた

山や魔は大小の岩を宝のように守って抱いとるでな
山や魔が目を覚ました
岩どん岩どん、どこ行くだ
川っ田川どんに運ばれて海産みの海に行きなるだか
海産みはこやあところだど
いっつも皆波で揺られてな、魚や貝に飲まれては

ぺっぺと吐き出されての繰り返しだど

ここにおってくれなったら、しめなわ掛けさせてな、誰もな

きつねや鷹の他は岩どんに触れることもできんように
守ったるのになあ
岩どん岩どんおんなるか
おんなるか
川っ田川がようけ寄って迎えに来なったが

岩どんの半分は心細なってよう答えんかったが

半分は答えて、順番に流れて行った

そしたら海産みどころか川っ田川どんも一筋縄ではいかんもんで

方々の曲がり角でようけの岩どんのかけらは集められて

田っ田っ田と里になった

畑と人が住み着いて、花が咲いて小鳥が鳴いて火が守られた

海産みの波までたどり着いた岩どんも

すっかり細きゃあされて軽なっとるで

ざぶんと押し戻されて、浜になった

そうしてみたら岩どんの驚いたことには、

海産みも合間合間に海の岩どんを宝のように守って抱いとったことだが

海どんは海の岩どんが逃げんよう厳しく守りすぎて

波で叩いとるうちに、岩どんはちょっとずつ砕けて

海産みどん海産みどんおおきになあと言っては

今まで厳しいばかりだった波に揺られて旅に出て行きなる

 

 

 

山田七菜子 救済と野蛮

 

山田七菜子は、海、山、荒野、そして磯や河原などを背景に人間や動物、植物、鉱物を描く。深く内的な力を帯びた色彩と、デフォルメされたモチーフは心理的な切迫感をともなっており、人間の根源的な姿、生きることの深淵をのぞくようなイメージを現出させている。表現はしばしば荒々しいタッチが支配的だが、画面はむしろ静寂につつまれており、不安感や不穏な情動だけでなく、癒やしや救済のイメージでもあることが分かる。

山田自身は、「絵画が、壊れ傷ついたイメージをやさしくつつみこむことができるという感覚は以前からあり、絵というものは肯定的で楽観的で豊かなものだったら良い」と述べているVOCA2018奨励賞受賞の際のコメント。作家提供の資料に拠る。)。現実と自己の内面との軋轢から20代で精神的な危機を体験した山田は、ほぼ独学で絵画を制作するようになった。山田にとって、描くことは生きるための切実な営みであり、「描くことは世界から自分をかくまうこと」と語っている。しかし彼女が「壊れ傷ついたイメージ」というとき、そこに含意されているのは、自らの内面の問題を越えた、だれもが思い当たる、普遍的な人間とイメージの社会学である。

つまり人間社会において、あらゆるイメージは、特定の意味や機能を担わされている。本来、何の目的も意味ももたないはずの自然ですら、人間の意志や思惑から、そのイメージは様々な意味や役割を担わされている。それらはすべて、人間の都合で消費され、そして用が済めば忘れられ、捨てられる。イメージは、人間の、本質において野蛮な生の営みのために利用され、翻弄される。山田が、「壊れ傷ついたイメージ」というとき、念頭にあるのは、そうした人間とイメージとのある種宿命的な関係性なのだ。

とはいえ山田は、自分自身も描くことで結局はイメージを利用し、傷つけているとも言う。それは、描く行為もまた、それが生きることの深層に根ざせば根ざすほど、野蛮さと無縁ではないということの自覚だといえる。山田が「野蛮で粗野な絵を描きたいです。それは[・・・]絵の在り方が野蛮ということだと思います」というのはその意味であり、描く行為と生きることのすべてを積極的に重ねていくという意志の表明なのだろう(「智恵と技術」2014 [https://nanakoyamada.jimdo.com/文章-知恵と技術/]

興味深いのは、山田の作品において、以前は自身の内面の吐露、自己の表出という色彩が濃厚であったのに対して、近年では、人間の共同体、ある種の共同性に向かう、大らかで骨太な感性の発動が見られることだ。たとえば今展のために、山田は故郷の丹後地方の方言による神話的、民話的な物語をつづっている。それは山の神に守られた石ころ(岩)を転がして里と浜をつくろうという、川と海の密談から始まる風景の誕生譚であり、また川の流れに乗って山から里へ、里から浜へ、そして海原へとつづく石の冒険譚でもある。作品に目を移すなら、山の神と思しき姿や、川や磯、河原の白い石など、この物語に対応するモチーフも見られるが、むしろそうした物語の叙述には囚われずに、自由な想像力によって、雄渾な神話的世界が拡大されているのが分かる。《歌舞伎者》をはじめとする魁偉な人物像などは、神話や民話でおなじみのアウトサイダーやトリックスターであろう。

山田は制作の大きな霊感源である自然に対しても、また画面上に立ち上がってくるイメージに対しても、それらをどんなに大切に思ったとしてもやはり他者であることを意識してしまい、そこにはつねに葛藤があるという。主観性の発露(内面の生理的な吐露)ということを越えて、むしろ他者との関係性が山田の制作を導いている。生きることに根ざせば、当然、他者の問題は避けて通れない。人間は一人では生きられないし、人間が悩み、傷つき、葛藤するのも他者があればこそである。このことが深められて、神話的な、他者との大らかな共同性への傾きが制作を豊かに方向づけるようになったのではないだろうか。

山田は、社会の卑俗で野蛮な思惑に翻弄されることのない自由なイメージ、それでいて生の実相に深く根ざしたイメージを求める。それは極めて険しい道とならざるをえない。社会が要請する機能から自由になるということは、生と切り離された貧血症のイメージとなる危険と背中合わせだからだ。しかし山田は、他者性の問題と向き合い、引き受けることで、この険しい道を歩こうとしている。

 

[東京オペラシティ アートギャラリー/福士理]