「僕はいつの時代どこの土地でも告発される、あの必要欠くべからざる人物、<恥っさらしの忌まわしい下劣感>、つまり人類の恥辱の役割を知らず知らずのうちに果たしていたのだ、それは「悪魔」と「神」みたいに、だれでも話には聞いているが、土地と生活に応じて、千差万別、曖昧模糊として、要するにとらえがたい存在だ。その<下劣感>をついに選り出し、突きとめ、ひっとらえるためには、このような狭い船の中でしかお目にかかれない、例外的な状況が必要だったのだ。」

ルイ=フェルディナン・セリーヌ 「夜の果てへの旅」生田耕作訳

 

「メモ

 

おれの魂は空っぽの花瓶のように粉々に砕けてしまった

あまりに深い階段の下に

 

うっかりものの女中の手から 落ちてしまった

粉々になり 陶のかけらすら残っていない

 

なに馬鹿言ってんだって? 不可能だって? 知ったことか

かつて自分だと感じていたときより多くの感覚があるんだ

おれは 叩かれる前の足拭きマットに散らばった破片だ

 

落ちるとき 花瓶が壊れるような音を立てた

そこにいた神々は階段の手摺に身をのりだし

自分たちの女中が粉々にしたおれの破片を眺めている

 

神々は女中に腹を立てたりはしない

女中に対しては寛容なのだ

おれは空っぽの花瓶だったんだろうか

 

神々は 奇妙にも意識して破片を眺める

自分を意識するので 破片を意識するわけじゃない

 

神々は眺め 微笑む

わざとではないから女中には寛大に微笑みかける

 

星が敷きつめられた大きな階段が広がっていく

星々のあいだで 光沢のある面をうえにして 破片がひとつ光る

おれの作品 おれの魂の肝心な部分 おれの生だろうか

ひとつの破片だ

神々は特にそれを眺めている なぜそれがそこに留まっているのかわからないのだ」

 

フェルナンド・ペソア 澤田直訳

 

 

おれは雑草のように存在し、誰にも引き抜かれなかった

 

フェルナンド・ペソア 澤田直訳 詩「旅の途中で放棄された本に書かれた…」から

 

 

「ああ、私がルムペルシュティルツヒェンという名前であることを誰も知らないとは何と素晴らしいことだろう」

「玉ねぎの皮をむきながら」ギュンターグラス 依岡隆児訳 (グリム童話の一節)

 

 

「左様なら、人の世よ!私はお前を相手にしたくなくなった。お前が與える生活は憐れな巡禮生活であって、うつろいやすい定めないきびしい辛い儚い泥まみれの生活、悲惨と過誤にみちた生活、生活というよりも死に近い生活、無常のさまざまな病いと死のさまざまな罠によって蠟燭の焔のように生命をおびやかされている生活である。」

阿呆物語 グリンメルスハウゼン 望月市恵訳

 

なぜなら、ヨアヒム・マールケよ、きみはきみの名前を変えさせなかったからだ。

「猫と鼠」ギュンター・グラス 高本研一訳

 

 

ドン・ジュアン そんなことは今日日じゃちっとも恥ずかしくないさ。偽善は流行の悪徳だし、流行の悪徳ならなんでも美徳として通用するんだ。現在人に演じられる役割のうちでは、善人役がいちばんの儲け役だよ、偽善者稼業ほど得な商売ってあるものじゃない。こいつはいんちきが尊敬されること請け合いの芸当なんだ。たとえ尻尾をつかまれたにせよ、だれからも文句はつけられない。人間のほかの悪徳なら、みんな非難も攻撃もしたい放題、だれだっておおっぴらにやっつける権利があるんだ。ところが偽善だけは特別扱いの悪徳さ、自分の手で世間の口をおさえつけ、罰を受けないでおさまりかえっていられるのだ。猫っかぶりが嵩じてくると、似た者どうしが寄り集まって、水入らずの組合をでっちあげる、そのなかのひとりとけんかでもしようものなら、あとの全部を相手にしなけりゃならぬ。誠心誠意事に当たる人だの、心から神さまを信じている人だのと、世間だれしもが認めている連中が、きまってこんな輩に引っかかるんだ。たわいもなく猫っかぶりの手に乗せられて、自分のしぐさを真似る猿どもを、わけもわからず尻押しするんだ。この策略を利用して、若いころの乱行をもののみごとに蔽いかくし、宗教の衣を盾にしている連中が、おれの知っているだけで何人あると思う?やつはこうしたありがたい上っぱりを着こんで、大きな顔で極悪人がきめこめるのだ。やつらのからくりを見破り、正体をつかんだところで、なんの役にも立ちはしない、やつらは依然として世間の信用をつなぎとめてゆく。頭をぴょこりと下げ、信心ぶかそうなため息をつき、目の玉をくりくりさせれば、あとはなにをしようと結構世間体がつくろえるんだ。この都合の好い隠れ家に逃げこんで、おれは身の安泰を計ろうと思うんだ。おもしろおかしい暮らしぶりを捨てたりするもんか。ただ用心ぶかく身を隠して、こっそり遊ぼうと思うだけさ。よしんば事がばれたとて、おれは高見の見物さ、一味徒党が味方に立ち、相手構わず敵として、おれの立場をかばってくれるよ。罰を受けずにしたい放題をするのに、こんなおあつらえ向きの手段は、めったにあるもんじゃない。他人の行状の目付役におさまりかえって、だれもかれもけなしつけ、絶対に正しいのはおれひとりといった顔をするんだ。すこしでも生意気な口をきくやつがあったら、断じて許さん、いつまでも根に持って恨みつづけてやる。おれは天に代わって応報するのだ。そして、この重宝なお題目をとなえては、敵を追い、不信心者を咎め立て、見さかいのない熱血漢をたきつけてくれよう。こいつらは、わけもわからず、おおっぴらにおれの敵の非を鳴らし、罵詈讒謗を浴びせかけ、めいめい勝手に頭からねじ伏せてしまうだろうさ。これが人の弱点に食い入る所以、利口な人間は時代の悪風に逆らうもんじゃない。

 

「ドン・ジュアン」 モリエール 鈴木力衛訳

 

 

シラノ(リニエールの肩をたたきながら)「なぜって言うのに、この泥酔、香葡萄酒の酒瓶、里古児の大樽先生は、いつだか素敵にうまい仕事をやったんだからな。弥撒の帰りに儀式の通り、此奴の惚れてる女が、聖水をうけたのを見つけて、ただの水ではたまらぬ此奴も、聖水盤に駈け寄るが早いか、身をかがめると見る間に、きれいに底まで飲みほしたんだ!・・・・・」

一人の喜劇女優(腰元の衣裳で)「まあ、実があるわねえ、ほんとに!」

シラノ「実があるだろう、ねえ、腰元役?」

 

「シラノ・ド・ベルジュラック」エドモン・ロスタン 辰野隆 鈴木信太郎 訳

 

 

そうしたいろんなうるさい邪魔をされながらも、彼はただの一つも書類に書き損ないをしなかった。ただ余り悪戯が過ぎたり、仕事をさせまいとして肘を突っついたりされる時にだけ、彼は初めて口を開くのである。『構わないで下さい!何だってそんなに人を馬鹿にするんです?』それにしても、彼の言葉とその音声とには、一種異様な響きがあった。それには、何かしら人の心に訴えるものがこもっていたので、つい近ごろ任命されたばかりの一人の若い男などは、見様見真似で、ふと彼を揶揄おうとしかけたけれど、と胸を突かれたように、急にそれを中止したほどで、それ以来この若者の眼には、あだかも凡てが一変して、前とは全然別なものに見えるようになったくらいである。彼がそれまで如才のない世慣れた人たちだと思って交際していた同僚たちから、或る超自然的な力が彼を押し隔ててしまった。それから長いあいだというもの、極めて愉快な時にさえも、あの『構わないでください!何だってそう人を馬鹿にするんです?』と、胸に滲み入るような音をあげた、額の禿げあがった、ちんちくりんな官吏の姿が想い出されてならなかった。しかもその胸に滲み入るような言葉の中から、『わたしだって君の同胞なんだよ』という別の言葉が響いて来た。で、哀れなこの若者は思わず顔を蔽った。その後ながい生涯の間にも幾度となく、人間の内心には如何に多くの薄情なものがあり、洗練された教養のある如才なさの中に、而も、ああ!世間で上品で清廉の士と見做されているような人間の内部にすら、如何に多くの兇悪な野生が潜んでいるかを見て、彼は戦慄を禁じ得なかったものである。

 

「外套」ゴーゴリ 平井肇訳

 

 

「私はひとりぼっちだ、しかし街を目掛けて殺到する一部隊のように歩いている」と。

 

「嘔吐」J-P.サルトル 白井浩司訳 

 

 

 

まったくの話が、思慮分別をとうの昔失ってしまって、これまで世の気違いの誰一人として思いつきもしなかったような、およそ奇怪至極な考えにおちいるようなことになったのであるが、それはみずから遍歴の騎士となって、甲冑に身をよそおい、馬に打ち乗り、あらゆる冒険を求めて世界じゅうを遍歴し、遍歴の騎士の慣いとして、かねがね読み覚えたあらゆることをみずから実際に行なって、こうしてありとあらゆる非行を正し、かつは数々の危険と窮地に身を挺して、見事にこれらを克服したあかつきには、名声をとこしえに竹帛に垂るることにもなるということが、己が名誉といやますにも、国につくすのにも時宜を得た肝要なことと思われたのである。この気の毒な男は、もうすでに自分の腕の力で、少なくともトラピソンダ帝国の帝位に登ったような気になっていた。かくて、こういう楽しい空想を抱き、その中で感得する不思議な喜悦にせき立てられて、ひたすらに自分の望むところを実行に移すことを急いだ。

 

「ドン・キホーテ」セルバンテス 会田由訳

 

 

みずからの罪に責めさいなまれよ、おのれのパンをみずから食え、ひとりで勝手に悩むがいい、ってことですよ。

 

「ドン・キホーテ 後編」 セルバンテス 牛島信明訳

 

 

 

「私たちはどこにいるのか?政治としてのエピデミック」

ジョルジョ・アガンベン  高桑和巳 訳 青土社  

19 恐怖とは何か?  2020年7月13日 213,215,216ページより

 

 

ドストエフスキー 地下室の手記 から 新潮文庫 江川卓訳

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「例外化措置の原因としてのテロは枯渇してしまったが、その代わりにエピデミックの発明が、例外化措置をあらゆる限界を超えて拡大する理想的口実を提供できる、というわけである。」

アガンベンーエピデミックの発明ー2月26日

訳:高桑和巳  現代思想 感染/パンデミック から

 

「諸政府がしばらく前から私たちに慣れさせてきた例外状態が、本当に通常のありかたになったということである」

「じつは、これは内戦である。敵は外にいるのではなく、わたしたちのなかにいる。」

「私たちが生きているのは事実上、「セキュリティ上の理由」と言われているもののために自由を犠牲にした社会、それゆえ、永続する恐怖状態、セキュリティ不全状態において生きるよう自らを断罪した社会である」

「心配なのは現在のことだけではない。もっと心配なのはこの後のことである。これまでの戦争は有刺鉄線から原子力発電所に至る一連の不吉なテクノロジーを、平和に対して遺産として残してきた。

それと同じように、衛生上の非常事態が終わった後にもしかじかの実験が続けられるというのはありそうなことである。」

 

アガンベンー説明ー3月17日

訳:高桑和巳  現代思想 感染/パンデミック から

 

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